【アラベスク】メニューへ戻る 第2章【真紅の若葉】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)

前のお話へ戻る 次のお話へ進む







【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第2節 丘の上の貴公子 [12]




 鏡越しに美鶴と視線を合わせ、聡は軽く口笛を吹く。
「かぁいいじゃん。やっぱ美鶴は短い方が似合うって」
 ソファーに腰掛けていた山脇も、嬉しそうに、少し恥かしそうに歯を見せる。
「うん。なんだか中学の時みたいだね。似合うよ」
 そんな風に笑みを溢されると、とっても居心地が悪いんですけど…
 美鶴としては、別に中学時代に戻りたいとは思わない。むしろ戻りたくない。だから、その頃を連想させるような髪型にもしたくはなかった。だが、だからと言ってああしろこうしろとこちらの意見を言うのも、面倒だ。
 なにより、髪型にいちいち意見するなど、ひどくバカらしい事のように思える。そんなのは、見栄にばかり気取(けど)られる、中身のない人間のすること。
「本当に。顔が小さいから、こうしてスッキリさせると愛らしく見えますね」
 営業スマイル全開の美容師の女性。彼女の指で、前髪が揺れる。
 流行の髪型というものなのだろうが、美鶴にはその名前すらわからない。
 前髪は、とにかく鬱陶しくないようにという美鶴の唯一の意見を取り入れて、眉上にバッサリと切り落とした。そして軽く不揃いに。横は耳が見え隠れする程度、後ろはシャツを着て襟に触れる程度。どちらもやはり毛先を軽くし、外にハネるようクセ付けがしてある。"遊ばせる"と言うらしい。
「色を入れると、もっと軽くなりますよ。カラーリングは禁止されてはいないんですよね?」
 もう染めたくてうずうずしている美容師を尻目に、美鶴はむっつりと断った。
「これでいいです」
「そうですかぁ? でもぉ〜」
「別に染める必要もないでしょう」
 ピシャリと言われては、相手としても無理強いはできない。
「ま まぁ、髪型だけでも軽さ出てるし、染める必要もないよな」
 残念がる美容師を気遣いつつも、これ以上美鶴の不機嫌が度を増すのを恐れてか、聡は美鶴の意見を押す。
「おや、ずいぶんとサッパリしましたね」
 テラスに顔を出した霞流が目を丸くして、だが優しそうに口元を緩めた。
「ありがとう。助かりましたよ。お忙しいのにお呼び立てしてすみませんでした」
 礼を言われて、美容師は照れくさそうに掌を振る。
「霞流さんのお願いですもん。どおってことないですよぉ。どうです?」
「えぇ、とても似合ってますよ」
 褒められて自慢気に胸を張る。この美容師、霞流に気でもあるのだろうか?
 陽射しがガラス越しに差込み、辺りは心地よく暖かい。
 ここは庭に面した一階のテラス。開閉式のガラスに囲まれ、手入れの行き届いた庭を一望できる。奥に広がるリビングでは、先ほどまで母の詩織がテレビを見ていた。
「こう閉め切っていては暑いでしょう。開けましょうか」
 その言葉に反応するように、控えていた使用人がガラス戸に手をかけた。
 カチャリという静かな音とともに、スワーッと風が入り込む。
 あぁ………
 思わず、瞳を閉じた。薫る風がうなじを撫で、少し汗ばんだ肌を労わる。汗をかいていたことに、初めて気がついた。
 どこからか、心地良い香りが流れてくる。
銀梅花(ぎんばいか)ですね。今年はずいぶんと早いみたいだ」
 思いっきり息を吸い込んだ美鶴の仕草に、霞流がそれとなく説明する。
 目を開くと、前に置かれていた鏡は退けられ、広々とした庭と向かいあう。
「あの花ですよ」
 椅子に腰掛けたままの美鶴に、霞流が屈んで身を寄せる。指差す方角に、小さな白い花。
「地中海方面原産で、ハーブとしても使われていたはずです」
 良い香りですね、という霞流の付け足しに、なぜだか胸が締め付けられるのを感じた。

 霞流さんは、この香りが好きなのか………

 動揺を悟られまいと、しばらく小花へ視線を釘付ける。そうして、もう大丈夫だろうと思う頃に、軽くなった頭を振って辺りへ視線を移すと、霞流はすでに離れてしまっていた。
 後片付けを済ませた美容師と、入り口で談笑している。
「あのっ」
 立ち上がろうとした美鶴へ、二人は振り返った。
「これって」
 だが、美鶴が言い終わらないうちに、霞流が片手をあげる。
「切る前にも言いましたが、この方は、いつもお世話になっている方なのですよ。大丈夫です。何も心配しないでください」
「こう言っちゃあなんだけどさぁ」
 美容師が腰に左手を当て、右手の人差し指を立てる。
「私の料金って、けっこう高めだと思うんだよねぇ。甘えておいた方が身のためだと思うよ」
 そう言って軽く片目をつむると、霞流に促されて扉の向こうへ。その後に霞流が続き、二人は姿を消した。
 浮かせた腰をどうしていいのかわからず、宙ぶらりんのまま途方に暮れる美鶴。その背後で、低い声。
「気に入らねぇヤローだぜ」
 振り返ると、聡がブスリとそっぽを向いている。
「良く言えば世話好き。悪く言えばお節介ってところか? 親切で自己満足」
「そんな言い方、失礼でしょっ」
 美鶴の言葉に、聡が大口を開けた。だが、聡に発言の隙は与えられない。
「"らしく"ないね」
 静かな言葉。
 リビングのソファーで長い足をゆったりと組み、身を預けた山脇の眉が微かに動く。
「嬉しいような哀しいような、僕としては複雑だよ」
「どういう意味よ」
 山脇の、真意を回避したこの曖昧な言い草が、美鶴は気に入らない。
 言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいのに
「君って、金持ちが嫌いなんじゃない?」
「別に、金持ちが嫌いってワケじゃない。ただ、金でしかコトを成し遂げる術を知らない無知な人間が嫌いなだけ」
「霞流さんは、違うってワケ?」
「そういうワケじゃあっ――」
「ないって言うの?」
 言葉尻を取り上げられ、美鶴は視線を険しくさせる。
「そもそも霞流さんは、ウチの学校に通ってるバカなヤツらとは違う。こんなに親切にしてくれているのに、そんな言い方失礼じゃない?」
「"らしく"ないね」
 ――――――っ!
「他人の好意をこんなにも素直に受け入れるなんて、ホント君らしくない」
 もっとも、と言葉を付けたし
「昔の君なら、考えられなくもないけどね」
「それって嫌味?」
「まさか、そんなつもりはないよ」
 そう言って、なぜだが視線を落して息を吐く。
 "素直"という言葉に、美鶴は軽く唇を噛む。
 それは、とても綺麗な言葉ではあるけれど、同時に、とても非現実的な言葉でもある。
 そんな綺麗事では世の中を渡ることはできないし、現実を生きていくうえで、それは必要のないもの。

 美鶴が、捨てようと決めたもの。

 その言葉を今の自分に当てはめられて、激しい苛立ちを感じる。
 私は、素直なんかじゃない。
 一瞬流れる沈黙。だが、密やかに流れる風の音すら聞こえるのではないかと思うほどの静寂は、甲高い声によって呆気なく破られてしまう。
「終わったのぉ?」
 間延びした、まったく緊張感というものを感じさせない詩織の声。
 ガックリと、脱力感が全身を覆う。







あなたが現在お読みになっているのは、第2章【真紅の若葉】第2節【丘の上の貴公子】です。
前のお話へ戻る 次のお話へ進む

【アラベスク】メニューへ戻る 第2章【真紅の若葉】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)